浄土真宗本願寺派 常忍寺

常忍寺創建とその時代

現在の本堂建立は、棟札に「宝暦九年、常忍寺五世釋教筌」とあり、西暦1759年、江戸時代中期にあたります。その頃、東西本願寺が大きく勢力をのばし、それに対して幕府は新寺建立を様々に規制していました。当時、川辺郡加茂村は武蔵忍藩阿部氏の所領で(常忍寺の寺号は忍藩に由来します)伊丹、池田に並び清酒を造っていました。岩田家は酒造米三千五百石、清酒「加茂岩田」は江戸銘酒番付前頭に名を連ねました。門徒講による新寺建立は、1741年に禁じられたので、岩田家邸内にあった草庵「常味庵」に寺格を得る形で、西本願寺から寺号、阿弥陀如来木像及び親鸞聖人絵像を下賜されました。宝暦十二年、西暦1762年に幕府は「新規の寺地寄付・譲渡・廃寺再興及び寺院の改宗を禁止」し、抜け道を塞いでしまいます。

その後、酒造の中心は西宮、灘に移り、現在の加茂には酒造の痕跡がありませんが、常忍寺の豪華な欄間彫刻に当時の繁栄を、不釣合いに小さな阿弥陀如来像に幕府の規制の名残を見ることが出来ます。

 

地域伝承念仏ひっつんつん保存会

加茂地区の六斎講に伝承されていた六斎念仏、通称「ひっつんつん」を保存しています。明治大正期には、真宗教義に反するものとして批判の対象にしていました。しかし、お盆に本堂で奉納されるのだけは許していました。第二次大戦前後に多くの村のひっつんつんが消滅しましたが、加茂の「ひっつんつん」だけが復活し、昭和50年ころまで本堂で奉納されていました。平成十一年、伝承する最後の機会と考え、「郷土芸能伝習会」に近所の子供を誘い伝承しました。

仏教各宗派の祖師の中で、親鸞聖人だけが聖(ひじり)と名の付く祖師です。聖を生業とする人が絶えて久しく、親鸞聖人をイメージすることも困難になりました。近代真宗教義と異なるといえども、聖の生業のなごりを残して保存することに意義があると思います。

2016。07。02 常忍寺住 葛野公明